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公開の日記

ひどい

一生人類と断絶することは覚悟したものの、これで楽観的になるのは無理だと思った。ここからそれでも「何かをする」ことに、理由はやっぱりないな、と思う。そもそもそれを見せる相手はほかの人たちだとしても、この人たちにこちらは何の価値も見出していないし、もっと言えば塵同然に扱うべきと位置付けているので、何の意味が、と思う。

だから神しかない。

それは分かってるけど、この状態でできることは何もない。神。神ねえ・・・。

 

断崖絶壁の前に立っている感覚はある。以前にもそれはあって、ただ何かのきっかけでその先に歩み始めた、と思う。それでこの状態がある。もう一度それを、今度は条件の変化を踏まえてやるべきだろうけれど、前回は「ほかの人たちに隠れて」やっていたものを、今度は「ほかの人たちを目の前にして、かつ彼らを塵として扱うことによって」、その向こうに神を見出す、という流れになる。

 

隣にいる何かも、それを見るこちらも、見られている何かも、見られていることを意識する何かも、端的に塵として自分はみなしている、つもりではある。今は。死のうが生きようが根本的にどうでもいい。ただし、そういうことを言葉にしてはいるので、この言葉だけが最小限残ることになる、感じはある。

 

これで犯罪をやらないのは、それをして何かになる意味すらこちらは感じていないからで、しない理由もないけどする理由もない、という簡単な話でしかない。

 

冷静に見れば常にどうでもいい話だったと思う。これもどうでもいい話だと思った、冷静に考えて。そうみなすためには、一度迂遠にせよ捕捉されてしまったこちらの立場を、絶対に、塵にまた戻さないといけない、だから「ゴミ」。ゴミの状態にならないと、この過大な負荷には耐えられない、と思う。それを踏まえたとしても、他の人たちのすべてを結局は死のうが生きようがどうでもいい塵(そもそも生きてないし死んでもない)としてみなしている以上は、原則的にこういう人たちに向けるにせよ、それをやっぱり通り越さないといけない。だからもうこの人たちに持続的な感情を抱くことは一切ない。ただ生まれて死んだりするように見えるだけ、とは思う。ひとまず。こういうところに戻らないと、しかし何もやれないなら、そういう意味でもやっぱり持続性はないとしか言いようがないとは思う。

 

ここから志向性を回復するにはどうすればいいのか。前はもっと獣のように猪突猛進していた感じがあるものの、それは性欲に支えられていた部分もあり、それはもうないというか今後持つことは基本的にないと思うので、何かが必要だと思った。

 

暗闇への愛。もとはと言えばそれが根本にあったはずなのに、ここでいくらか「配慮」してしまったことが一番の間違いだった。あとは勇気とか・・・。

こういう大げさな言い方含めて、とにかくどうでもいい。ゴミ、ゴミ以外の何物でもない。ゴミ製造。ひたすらどうでもいい、という感覚がないと、少なくとも何かに取り組んでいる感覚は得られない。

それで、これをやったとしても何の意味があるのか、とも思う。ただそれでいいのかもしれないけど、「それでいい」と思うまでに、自分の場合は断崖絶壁の前に立たないといけないことに困難があるよなあ、と思った。