適当に書く場所

公開の日記

本当の意味で全人類から断絶される必要がある。何か中途半端な敬意や、未練がましい愛着を何かに対して、内面的に抱いてしまっているから、それがこの場合には必要ない配慮などとして、足を遅らせる原因になってしまう。

もうこの連中の一人に対してすら、容赦はしない。結局は疚しさがあり、そして自分のその「私性」に価値がある、だから見ていた、とか言うのであれば、なるほどこれは貫徹する必要がある。ただし、相変わらず特定個人を直接指定するのは控えたい(とはいえ「誰か」へは宛てる。ここは限定化しないとたぶん無理。ただし「特定の誰か」は絶対に濁す、もう意味ないかもしれないけど)。

 

こういうことが怖かったから、結局情けない日和見になってしまう。「こういう日和見」と、もっと敢然とした日和見があり、ここ最近は前者だったと思う。そこは反省する。もう全員配慮などはしない。甘ったれはここで捨てなければならない。最終的にはそう悪くならないはず、だとは思った。もういい。このクソガキどものたわ言には付き合ってらんねえんだよ。それで、実はそういう気概を持つとむしろ「読めたり」するようになる部分もある、とは思った。自分に限れば。ここで恐れるからますます不幸になる、「そうであれば」、全員が。いい加減にしろこの馬鹿どもが。甘ったれ、甘ったれ甘ったれ、自分が一番そうだったけれど、結局そういうことなら自分の方が何かを捨てて、全人類を、この間抜けどもへ容赦してはいけない。情けをかけてはいけない。

 

常にそうだったところへ戻る必要がある。

神の眼だけが自分の報酬となる。もうはっきりわかったのは、人類への言語上の打擲によってでしか、ルカエーへの愛は取り戻せない、ということではある。実は常にそうだったのに、こうして具体的に影響関係が想定されてしまうと、途端に「みんなに好かれようとして」、あっちを叩いたりこっちを・・あるいはこれは触れるのが怖いから、でまーた無能に陥る。「こういう日和見」と、もっと破壊的な日和見があり、前者の方が自分においてははるかに「破壊的」だった。だから辞めるべき。そのためには、むしろ今まで内心抱いていた「敬意」や「配慮」の方こそが、邪魔になる。捨てろ。これはもう疚しさになっていて、自分の足かせにしかならない。こうして食ってかかる方がよっぽど「配慮」で、今までの「逃げ」は、結局どこかに臆病に由来する「配慮」があったからだった。こんなものは必要ない。もう必要ない。

 

状況が極端ではあるものの、この場合は全員敵に回す以外にない。そっちの方がよっぽど安全のはずだと思った。もういい加減虫唾がはしる、何より自分のそういう尊大な「手加減」に。