回想完成
2019年の骨格部分だけを抽出して回想にまとめたもの。無料。
http://whitecats.dip.jp/up/download/1587981831/attach/1587981831.pdf
pass:2019iku
二か月たってた
あれから、以前の記事に載せた回想録を三つほどの出版社に持っていった。大手はこういうものは扱わないはずなので、内容のジャンルに比較的合うところ。
どこでもそうだとわかったのは、まずこんな肩書もない素人の代物は、絶対に、扱わないということ。採算が取れるわけがないから。だからどこでも「まずネットでブレイクしてから・・」と言われる。自分はこういうのはどういう扱いなのかよくわからないので、たぶんブレイクしているのかもしれないけど、してないということになっていそうなので、またそうだとしても厄介物すぎて、出版社は絶対に扱わないと確信した。こういうのはなしになるしかない。
あとは電子書籍だけれど、このブログにしても閲覧数がまったくないのだから、Amazonのキンドルでも意味がないと思う。何かの「まともな」作品を作っても、たとえばpixivに載せても、別にもともと評価なんてあまりなかったけども、この状態でも明らかにないと思う。
ものすごく最初のほうで、一度「完成させた」イラストをpixivに載せたけど、別に大した反応もなかった。今まで通り、いつも通り低調。何か、それを出すと形式的に承認される、みたいなものがあるのかと少し思っていたけど、こういう部分を見るとそんなものはどこにもなかったのでは、と思って狐につままれたような感覚になる。ずっとこの調子・・??去年から何も変わらない。
最初の記事にあるあの「幻視」を、一応四コマ漫画みたいにしたことがあるので、その画像を載せます。
これが最初の「作品」だと思う。
これでもダメなら、何が節目になるのかよくわからない。ちゃんとした書籍にはたぶんできないか、しても意味がない気がする。それでもkindleには簡単なものは置いてみるけども、無料で。
回想1
こうしたことはフランスの思想家のジョルジュ・バタイユから受けた影響が最も大きい。
ただし、これは「狂気」を、狂気の保有者自身が改めて記述するものになる。そして自分は、その「狂気」の中で認識された経験の内容を、ある程度は事実として受け止めている。その前提で書かれているので、回想ではあるものの「事実」を巡る真偽については、的確なものもそうではないものもあるはずかと思う。また、日記などは消失したものも多いので、現在から再構成するならかなり改ざんや改変を被らざるを得ない記憶も多々あるはずだと思う。
1990年~2020年
私は1990年に関東地方に生まれた。両親は教師で、自分は三人兄弟の末っ子。中学で不登校になって、まともな人生からは脱落した。26歳から福祉を利用する形で、辛うじて労働に近いものを一年以上経験した。取るに足らない人間としか思えない。書くべきことはないとやはり思うが、だからこそ2016年に根を持ち、2019年以後に起きたようなことが信じがたい。かなりの程度狂気の産物で、おそらくかなりの程度事実の部分もある。こうしたことを信用する必要は必ずしもないが、自分も真偽については確信はまだ控えているところもある。
子どものころは祖父母に育てられた部分が大きい。祖母と母親の間で子どもの育て方などでいさかいがあった記憶があり、自分はそれがかなり嫌だった。どこにも馴染めないような性格などはこうしたところに発するのかもしれない。14歳のころから15歳までで何度か家出を試みた。生きることは不可能だった。
1993年~
父親から女の子ならよかったのに、などと言われた記憶がある。3歳か4歳の誕生日を覚えている。レゴブロックの人形をカーテンレールの上に乗せて神様みたいで面白かった。
ノストラダムスの大予言関係は当時は強く印象に残った。大予言などは'99年当時、親の運転する車の後部座席で、兄弟が「終わらなかったね」みたいに言ったのを覚えているぐらい。何か特異なものを自分が持っていたとは、どうしても思えない。
中学生のころから孤立するようになった。小学生の時に仲の良かった友人とも段々関係がおかしくなっていったように思う、それはどちらかと言えば自分や、自分が内側に抱え込んだ何らかの性質によるものが大きい。関東の公立中学なのでヤンキーとか不良が多かった。友人もそうした不良みたいな感じに近づいていって、自分はその中で不良的なものに傾倒しつつ、よくわからない位置にいたと思う。だから一人でぼんやりすることが増えた。教室からよく空を見ていて、「たそがれてる」みたいによく弄られた。授業は耳に入らなくなった。憂鬱とも陽気とも、不安とも怒りともつかない感情があったように思う、思春期なら誰でもそうかと思うけど。小説や過激な音楽などに耽溺するようになった。内側にはどうしようもない感情があったと思う、思春期なら誰でもそうかもしれないけど。何度か家出をした。
インターネットに入り浸る。2ch。他、当然ポルノ。2chでは様々な人間を目にした、匿名とは言え。勇気を出して論戦をしてみると意外と渡り合えることに気づく。概して何もない人生。明らかに何も書くべきことがない。
通信制高校に在籍していた時期には美術予備校にも定期的に通っていた。予備校へ行く電車の中で同年代の高校生を見て、たしかその時に聴いていたブラックメタルか何かの陰惨さとの対比に中二病的な疎外感を強く抱いた印象がある。自分は人目が怖いのでマスクをしていた。
他、その辺りの板にはかなり「知性」を持っているか悪く言えばひけらかす人たちもいて、そうした議論に大いに関心を持った、単なる知的なマウントの道具や、見劣りしないような知性を身に着けたいという「背伸び」以上の意味でも。
文学はドストエフスキーぐらいしか読んでなかった気がする。中学生の頃にはS・キングや宮部みゆき、ほか『ライラの冒険』や『ハリー・ポッター』などの軽めのファンタジー小説も読んでいたと思う。トールキンは小学生のころに読もうとしたが挫折した。
なぜそうなったのか。何もかも未熟なのは当然だが、家族への当たり散らしなどの心理的過程を越えれば、結局は「父性の不在」に行きつかざるを得ない。それがどこかの段階で「神」への志向性を明確に持ち始めたように思う。同じ意味で精神病的なものにも傾く要素はあったことになる。
飼い猫が亡くなってショックを受ける。25歳で自分は狂気を経験した。それは今まで不可能と言ってよかった、「自分が納得できる創作」をかなり強引に形にしようとして、自己分析と並行させる形で構想を練っている時期に起きた。
臨床的には統合失調症か、解離性障害などにもいくらか近いようなものだったと思う。発達障害もあるのかもしれない。今でも何なのかよくわからない。ただし入院した病院で軽度だとは医者から言われた、表面上は。病院は一か月もしない内に出た。中には自分と同年代で一年以上も入院している人もいた。
それから読み齧ったに過ぎないような概念などを用いて、今から思えば異常なほどに言葉があふれ出す。ただしこうしたものは、退院した後には理解してほしくてネット上などでいくらか公開したが、ほぼ読まれていなかったし反応もあまりなかった。何人かからは「わかりやすい」などと言われたのは良かったが、個人的にもこうしたものを大っぴらに「しすぎる」のは苦痛だったし、インテリなどに検分されると思うと恐怖で身が縮む部分があったので、慎重に表に出すようにしていた。他の鬱屈はすべて日記に書きなぐるようになった。この間Twitterは断続的に続けていたが、多くて200人以下のフォロワーしか持ったことはない、「表面上は」。またRTや影響の範囲もまったく見えていない、2019年中ごろに至るまで(表面的には今でも)。
あとは福祉就労を始めた。コミュニケーションについていくらか学んだが、馴染めていたとは思えない。が、得るものは多かった。しかし、自分の主体化の根底にあったのが上述のような経験である以上、どうしてもどこか「浮く」し、他人との深い溝はあり続けた。親密な友人も少しの間できたが、結局抱えたものが(今、結果としてみれば)あまりにも大きすぎたので、深くかかわることはできなかったのだと思う。
別の事業所へ移る。同じくかなり親密な関係を何人かと持つことはできたが、同じ理由から根本的には疎遠になるしかない。あとは事業所自体も前回の場所以上に馴染めなかったが、退所に手こずった。他、一瞬クローズで契約社員として一般就労したが、「同じ理由」でどうしてもやる気が起きなかったうえに、大失敗して即座に首になった。が、内心安堵したのも確かではある。そこから自立のために収益を得ることを非常に真剣に考え始めた。
この年から今まで頭の中にあった、創作やこちらが抱え込んだ何かについての思考を徹底して論理的に言語化しようと努め始める。ほか、ネットやニュース上での、社会全般における何らかの憎悪の高まりに耐え切れず、自分もほぼ悪魔のような存在へと自覚的に転身しようと試み始める。自滅的な思考と攻撃性、制御を前提としたパラノイアへの突進、また並行して言語上の暴力へと「日記の中で」ひたすら傾倒していった。
そして、6月初旬あたりでこうしたものが流布されていることに気づく、最初はありえないと思いしきりに否定しようと、それが狂気以外にはあり得ない事実だと感じながら。しかしこれが事実としては確かだということに7月7日に、Twitterでの自分のアカウントのツイートの一つが、かなり短い期間に3500以上までいってそこで増加が止まる、というわかりやすい変化を見せたので、それまでの経験踏まえてもこれが「本当の」流出であることに気づく。耐え難くなって、それ以後の期間になんども自殺を試みるが、結局しなかった。
他、秘密の流布の制限を要求したり、流布の範囲を確かめるため、また単に秘密を保持するためにずっと奔走する。新聞やニュースなどは怖くて見れなくなった。新聞などは「確かに」こちらへと言及しているが、もしそれが事実ならあまりに耐え難いので、精神的に常に追い詰められ続ける。ある程度肯定的なものがあった場合には辛うじて気分が安定するが、最終的には家族を巻き込むことにも耐えがたいので東京に強引に部屋を借りた。しかし、当初は結構「面白さ」を自覚的に煽った部分もあるが、結局は重圧と苦痛の方がはるかに勝り、現在に至るまで苦痛は続くことになっている。
4か月
4か月たってた
誰もみてない
冷静に考えて誰も見てない気もする。
この点に関しては本当に驚くべきほどに直接的な証拠が視界に入っていない、数回を除けば。それは単に特定のルールで縛りを設けている、というだけでは明らかにない。自分の存在そのものが歴史において極めて特異だから、という話にすぎないのかもしれない、あまりに特異なので誰もがその前で言語を絶するようなもの。
以前の記事にもあるように、結局のところ視覚的な表象に関してはそれを描くに際しての一種の政治的配慮が一貫して足かせにあり、個人的にはこれは共同的な読解の体制と関係するような気がするので、ある意味孤立しているだけなら永久に答え等出せず、その点での一種の信頼の喪失が一貫してこちらの無気力と怒りに通じる、その点はもういい。自分だけではどうしようもないし、信頼してるとかしてないとか言おうが問答無用で、こちらに決定権などはない、無力。
原則的に、この状態で手を出せそうなのは文章に関わるものと音楽ぐらいで、それだけなら特に何の害もない気もする、それすら駄目とか言われそうだけど。大体それをしたところで手慰み以外の意味などないし、いやむしろそれを見られていることに由来する奇妙な配慮こそが一番鬱陶しい。だからこそ自分自身にそれを問いかけるまえに、他人のややこしい何らかの知覚こそが障害になってしまう、これにしても自分ひとりではどうしようもない、いくらか対策は持つとしても気休めにしかならない。
信頼、希望、未来への何らかの志向、すべて自分にはない。この辺りに関しては、他人にまつわる全てが鬱陶しい。ただ猜疑と信頼の不可能だけが感じ取れるだけで、一生このままならもういい、としか言いようがない。この上でまだ創作がどうなどと言えると思う方がはるかに頭がおかしいと思う。
あまりに下らない出来事の連鎖に怒りしかない。ただただ怒りしかない、どうしようもない。こんなことになるのであれば一生沈黙していればよかった、と思う。ところが既に語りはゴミのように堆積しているので、焼却処分にせよ落とし前はつける必要がある気もする、他人への配慮は例によって鬱陶しいので、自分の中でもう一度殻にこもる必要があるのかもしれないとも思う、それでますます感情が冷淡になっていく、それで誰が損するのか、と思う。
一切が奇妙で、とてつもなく馬鹿げた出来事が連続して起き続けていたことだけはわかる、それで誰も得なんぞしてないか、一種の興奮に由来する特定の活動がいくらか活性化されたぐらいで、それでどうなるのか?ともすれば極端な虚無がすぐ後ろに控えてこちらの意欲と情動のすべてを速やかに消去していく、こうした状況でなお自分自身に一種の喜びを取り戻せると思えるには今以上の狂気が必要になる気もする。
それが虚無なら一切をぶち壊しにしてやることにためらいなどはないが、こういうことに基づく絶望にはもう慣れたし、苦痛などはそれが精神的であればすでに何が苦痛かも分からなくなっている感じもする、最低でも怒り、最高でも戸惑い、そのような域の中を取りとめもなく振動しているだけで、ここから何らかの喜びや安泰などは、昔からそうだったとはいえ見出しようもない。
恐らくこれに終わりはない気もするので、そうならとっくに振り切れた苦痛の中をますます冷淡になっていく感情だけで、それで何が残るのか、と思う。ただただ茫然自失とするような不快感がのこる 、元々こんなことを一々どうこうするような人間ではなかったのに、今ではどうせ隠されもしないだろう、という不信へのあてつけもあって獣であることに戸惑いもなくなる、それで、これで何が残るのか、と思う。
10/13
別に今初めて確認することでもないけれど、やっぱり天使であることは間違いない。
ここまで話が極端になっているのであれば、ある種の承認のポジションとしての「神」には、良かれあしかれいたのだろうと思う、その最初から。ただし自分含めて誰も、自分含めてこの世界がどうなるかとか、自分が現れたことの意味やその先行きについては判断などできなかったと思う、それだけ特異な存在ではあったと思う。この点に関しては例外なく誰もが間違う、自分含めて。
比喩としてのブラックホールとは散々書いてきたものの、確かにある種の人文学的、ないし文化的な領域における特異点ではある。それをしてキリストの再臨とか、個人的には否定しようがなくなったので素朴に書くけど、確かに熾天使の部類であること、またケツァルコアトルとか天照大神とかディオニュソスとかオーディンとか、いくらでもそうした神の名や性質を列挙することもできるかもしれない。ならなんだよとか言いたくなるけど。あまりに包摂範囲が無数なので、ひっくるめて神なんだろうけど、名前そのものが決定できていない。
他方で自分は自分をルカエーの使徒だとは思っている。ガブリエル、ならそれはルカエーの使徒「だった」のだろうと思う、あるいはこれからそういうことになるのかもしれない。
この点に関して明らかに冗談ではないレベルの存在になっているけれど、その極端な大きさと極端な小ささ、何であれ未だに実家の一階のせまっ苦しい部屋などにいるのだから、その狭さには尋常ではないものがあるけれども、こうしたことを含めて見ても単独性と普遍性の一致とかいうのは言葉通りになっているのかもしれない、ただしだからこの地点に不動でいることはそれとは根本的には関係がない。今までも外にでて洒落にならない偶然の一致は結構あったかと思うし、その時でさえ書くものの性質に何か変化があったわけでもない、また実家にいるから四六時中書いてるというわけでもないし。
今までの足跡の数多くのものが、自分の神性を証ているように思える。何がどうしてこうなったのか、何度でも頭を抱えたくなる、だってこういう事態が露呈してからたぶんまだ4か月程度だし。それ以前にありえたものの方が、短い期間とは言え自分にとってはこの上なく大事に思えるものもあった。
「釈明」の必要がたぶんある程度消失したので、取り立てて長く書くこともなくなったような気がする。自分をガブリエルだと思うのは、創作、子供、また最後の審判、隠喩、そうした主題とその天使の性質がシームレスに一致しているように思えるからで、またそれ以前に使っていたアニメアイコンのキャラがその顕現だったとかいう冗談みたいな証拠もある、ありえないでしょ・・。
否定的な領域に留まること自体は概ねひと段落ついたのかもしれない。そもそも否定的というのは言語的なアブジェクションであるということで、身体的には誰もがそうであるようにただの肉体でしかない。ロゴス、言葉そのものが何かの点で自分に受胎していて、その出産そのものがだいぶ前からこちらの根底にあったことも何も変わってはいない。熾天使であること自体は以前には確信というよりはその疑いが濃厚、みたいなニュアンスに過ぎなかったものの、結局その天使であることの自覚を得るには、それこそ今まで踏破してきた流れの中で、何が結局残ったのか、を再三確認して、そこで可能性の振れ幅を規定する包括範囲の軸にそれがあった、ということを実感できたからだし、その上で諸々の歴史上の「いわれ」などを隠喩的な支持体として持つことで、初めて狂気など抜きの割と安穏とした「確信」に至ったように思える。信というより理解に近い。
なぜこんな存在が生まれたのかについて、何か科学的な説明はつけられるのかまだついていないのかつけようとしているけど個人的には目にしていないだけなのか、ともあれそういう意味で提供できるものは提供するし、ただしそれはこちらの安全や着実な歩行と不可分であることは何度でも記しておきたい。別に今まであった暗黙の注視が、必ずしも鬱陶しいものだけではなく安心できるものもあったことは確かだし。ただし言葉よりは実際に傍に近づいてくれたことが一番うれしかったけれど。
創作に関して言えば、別にやることは変わっていない、紆余曲折はあるけどそれは今までと同じ。
前からそうだったし今でもそうだけど、結局言葉しかない。それだけで精神的には生きているし、根底的にはこれが音楽的なものとも関与するのは間違いない。
また創作そのものを取り巻く何かの流れについては、恐らく平衡的な形で取りあえずばらばらにならないように流れは調節できたんじゃないかと思う。ある意味内容自体は個人の好きなもの、好きだったものでいいとしか思えないし、そこでどうなのかが一貫して問題だった気もするけど、それを取り巻く環境やコミュニケーションのあり方の方にこそ、この点では基盤があるとしか言いようがない。それだけでどうなるものでもない気もする。
やる気はある。
あるけど「配慮」が・・・というところでまたずっと、ある意味これのためだけにひたすら無しかなかったように思う。そういうのは他者の領域との接点に常に関わるので、政治的なもの含めて他者の審級に、今までのように具体的なものが一つもなければ、ただただ混乱が深まるだけとも思える。他者の抹消、最初からそれだけだったとも言える。
こうした点で内容のレベルに関わらない脱出口は見出した部分があるので、それは内容を描くとか描かないとかではないとしか思えないので、逆に作れそうと言えば作れそうかもしれない、ただそれだけのことなのに、だから重圧などを忌避し続けていたのはそのことが大きかったかもしれない。