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公開の日記

回想1

今までの流れをまとめた回想の一部を掲載。
 
 
前書き/概要
 回想としてこの文章を書くのは実用的な理由によるものが大きい。文学的に、あるいは詩的に書くという思惑はあまりない。そうした感覚はむしろ創作物に書かれるものというより、自分の「体験」と呼べるような、実体的なものとして受け止めている。詩的なもの、象徴的なものは、創作上の空想である以上に、はるかに身体的に、それもある種の恐怖を伴うものとして経験されたように思う。だから「回想」という形を取る。私小説のようにも書けるかもしれないが、そうした技術は持っていない。また語られる内容は、一種の狂気であり、かつ何らかの思考(「思想」とまで呼べるかどうかには疑問を抱く部分がある)の総体、また欲望や神秘的なものなどに関することかと思う。
 こうしたことはフランスの思想家のジョルジュ・バタイユから受けた影響が最も大きい。
 これを書き始めたのは2020年の2月8日。書き始めたのは、自分が置かれた状況や今までに辿った道筋を、その内面的な動きを含めてかなり微細に他人に伝達するため。
 ただし、これは「狂気」を、狂気の保有者自身が改めて記述するものになる。そして自分は、その「狂気」の中で認識された経験の内容を、ある程度は事実として受け止めている。その前提で書かれているので、回想ではあるものの「事実」を巡る真偽については、的確なものもそうではないものもあるはずかと思う。また、日記などは消失したものも多いので、現在から再構成するならかなり改ざんや改変を被らざるを得ない記憶も多々あるはずだと思う。

 1990年~2020年
 私は1990年に関東地方に生まれた。両親は教師で、自分は三人兄弟の末っ子。中学で不登校になって、まともな人生からは脱落した。26歳から福祉を利用する形で、辛うじて労働に近いものを一年以上経験した。取るに足らない人間としか思えない。書くべきことはないとやはり思うが、だからこそ2016年に根を持ち、2019年以後に起きたようなことが信じがたい。かなりの程度狂気の産物で、おそらくかなりの程度事実の部分もある。こうしたことを信用する必要は必ずしもないが、自分も真偽については確信はまだ控えているところもある。
 子どものころは祖父母に育てられた部分が大きい。祖母と母親の間で子どもの育て方などでいさかいがあった記憶があり、自分はそれがかなり嫌だった。どこにも馴染めないような性格などはこうしたところに発するのかもしれない。14歳のころから15歳までで何度か家出を試みた。生きることは不可能だった。
 2019年の中頃に、自分がPCで私的に作っていたテキストの中身がかなり大規模に流布されているように思った。それはただの情報流出というより、もっと大きな何かに関するもので、たぶん公共のメディアなどにも直接名指ししない形で、自分から暗に影響を受けたようなものが多数見受けられたように思えた。こうした受け止め方は典型的な狂気の産物だと思うし、同じようなことを言う狂人なら無数にいるのはよくわかっていて、だからこそ自分もそれが狂気であることを個人的には疑い続けたが、ほぼ事実だと今では思う。それに至る経緯について一度概要を記述する。

 1993年~
 父親から女の子ならよかったのに、などと言われた記憶がある。3歳か4歳の誕生日を覚えている。レゴブロックの人形をカーテンレールの上に乗せて神様みたいで面白かった。
 1999年~
 ノストラダムスの大予言関係は当時は強く印象に残った。大予言などは'99年当時、親の運転する車の後部座席で、兄弟が「終わらなかったね」みたいに言ったのを覚えているぐらい。何か特異なものを自分が持っていたとは、どうしても思えない。
 2005年~
 中学生のころから孤立するようになった。小学生の時に仲の良かった友人とも段々関係がおかしくなっていったように思う、それはどちらかと言えば自分や、自分が内側に抱え込んだ何らかの性質によるものが大きい。関東の公立中学なのでヤンキーとか不良が多かった。友人もそうした不良みたいな感じに近づいていって、自分はその中で不良的なものに傾倒しつつ、よくわからない位置にいたと思う。だから一人でぼんやりすることが増えた。教室からよく空を見ていて、「たそがれてる」みたいによく弄られた。授業は耳に入らなくなった。憂鬱とも陽気とも、不安とも怒りともつかない感情があったように思う、思春期なら誰でもそうかと思うけど。小説や過激な音楽などに耽溺するようになった。内側にはどうしようもない感情があったと思う、思春期なら誰でもそうかもしれないけど。何度か家出をした。
 14歳か15歳のころ、中学校の掃除の時間に校舎裏の焼却炉の傍に座っていると同級生の男子が話しかけてきた。「神様っていると思う?」。よくある質問で、取り立ててどうということはないと思う。2016年に一度回想をした時、この言葉はしかし強烈に思えた。ただし当時の自分にとってはあまり意味がなかった。「いると思わないとやっていけないよね」と返したら、そんなことを言う人は初めて見た、と答えられて少し嬉しかったのを覚えていたぐらい。自分はこの話題が、他人に訊ねられて答えてから初めて知った、自分でも知らなかった何かを表しているように思った。ただし、「神様」についてまじめに考えていたわけでは決してないと思う。神仏などはよく祖母に連れられて行ったお寺の記憶が強く、誰でもするようなお祈りや念仏を知っていたぐらい。
 2007年~
 インターネットに入り浸る。2ch。他、当然ポルノ。2chでは様々な人間を目にした、匿名とは言え。勇気を出して論戦をしてみると意外と渡り合えることに気づく。概して何もない人生。明らかに何も書くべきことがない。
 通信制高校に在籍していた時期には美術予備校にも定期的に通っていた。予備校へ行く電車の中で同年代の高校生を見て、たしかその時に聴いていたブラックメタルか何かの陰惨さとの対比に中二病的な疎外感を強く抱いた印象がある。自分は人目が怖いのでマスクをしていた。
  2chの板ではニュース速報板などを主に見ていた。それ以前にはもっと小規模の板を四六時中見ていた時期もあった。特にニュース速報嫌儲板は、ばかばかしいが設立当初から見ていた。その辺りの板にはいくらか共同意識や一種の選民意識のようなものが強めに漂っていたので、大げさだが「仲間」のような居心地の良さはあるにはあった。とは言え自分はずっと匿名で、固定ハンドルを名乗ったことは一度もない。
 他、その辺りの板にはかなり「知性」を持っているか悪く言えばひけらかす人たちもいて、そうした議論に大いに関心を持った、単なる知的なマウントの道具や、見劣りしないような知性を身に着けたいという「背伸び」以上の意味でも。
 その中に「10代で読んでないと恥ずかしい本リスト」的なものを目にして、「神話」という言葉に惹かれてボードリヤールの『消費社会の神話と構造』を無理して読んだ記憶がある、10代のころ。これでその辺りの「小難しい」ものへの興味が膨らんだ。バタイユサルトルニーチェなども同時期に読み始めた。ただしそれほど一気に読めたということは決してなく、基本的に意味不明だった。それ以前、高校生の頃にはJ・P・ホーガンなどのSFをよく読んでいた。あと、そうしたSFの一部にはアンチ宗教のような主張が非常に多いように思ったが、この時に「宗教」があたかも人類史において無益な錯誤であるかのように扱われることに、自覚的な反感を抱いた記憶がある。その種のことが宗教への興味へと結実したように思う。だからエリアーデwikipediaを読んだ時に、これこそ自分が一番読みたかったものかも、などと思ったのを覚えている。
 文学はドストエフスキーぐらいしか読んでなかった気がする。中学生の頃にはS・キングや宮部みゆき、ほか『ライラの冒険』や『ハリー・ポッター』などの軽めのファンタジー小説も読んでいたと思う。トールキンは小学生のころに読もうとしたが挫折した。
 これ以降はほぼ「ネット」しか知らないレベル。あまりに中身がない人生なので書くことに欠ける感覚がある。事実上、16歳あたりで自分の人生は終わっていて、19歳でほぼ死体同然の自意識を持ち始めた気がする。そこからは何もないこと前提でどんな汚辱にも躊躇することがなくなったような部分もある(ただし過激なことはしてない)。
 なぜそうなったのか。何もかも未熟なのは当然だが、家族への当たり散らしなどの心理的過程を越えれば、結局は「父性の不在」に行きつかざるを得ない。それがどこかの段階で「神」への志向性を明確に持ち始めたように思う。同じ意味で精神病的なものにも傾く要素はあったことになる。
 2011年~
 震災を経験する。震度6弱。生まれて初めての恐怖を抱く。携帯型キャンプ用ライトの乏しい光で歴史ものを読んでいた。カエサルの話が強く印象に残る。同じ年に自然気胸で入院して手術した。
 2016年~
 飼い猫が亡くなってショックを受ける。25歳で自分は狂気を経験した。それは今まで不可能と言ってよかった、「自分が納得できる創作」をかなり強引に形にしようとして、自己分析と並行させる形で構想を練っている時期に起きた。
 臨床的には統合失調症か、解離性障害などにもいくらか近いようなものだったと思う。発達障害もあるのかもしれない。今でも何なのかよくわからない。ただし入院した病院で軽度だとは医者から言われた、表面上は。病院は一か月もしない内に出た。中には自分と同年代で一年以上も入院している人もいた。
 その前後で自意識の面で明らかにおかしくなったと思う。それで「入る場所を間違う」ようになる。と同時に、神秘的な観想や宗教的な空想、今まで漫然と読んでいたにすぎない何らかの実存的なもの、思弁的なものなどが極めて、自分にとって切実なものに変貌してしまった。これは2016年の3月ごろにあった、自分の人生への回想、記憶、物語の鋳造による。同時に、「神学」といくらかは呼べるような、何らかの──ただしバタイユなどの影響を受けているので何かしらが「裏返った」──体系を構築した、と思う。
 それから読み齧ったに過ぎないような概念などを用いて、今から思えば異常なほどに言葉があふれ出す。ただしこうしたものは、退院した後には理解してほしくてネット上などでいくらか公開したが、ほぼ読まれていなかったし反応もあまりなかった。何人かからは「わかりやすい」などと言われたのは良かったが、個人的にもこうしたものを大っぴらに「しすぎる」のは苦痛だったし、インテリなどに検分されると思うと恐怖で身が縮む部分があったので、慎重に表に出すようにしていた。他の鬱屈はすべて日記に書きなぐるようになった。この間Twitterは断続的に続けていたが、多くて200人以下のフォロワーしか持ったことはない、「表面上は」。またRTや影響の範囲もまったく見えていない、2019年中ごろに至るまで(表面的には今でも)。
 あとは福祉就労を始めた。コミュニケーションについていくらか学んだが、馴染めていたとは思えない。が、得るものは多かった。しかし、自分の主体化の根底にあったのが上述のような経験である以上、どうしてもどこか「浮く」し、他人との深い溝はあり続けた。親密な友人も少しの間できたが、結局抱えたものが(今、結果としてみれば)あまりにも大きすぎたので、深くかかわることはできなかったのだと思う。
 2018年~
 別の事業所へ移る。同じくかなり親密な関係を何人かと持つことはできたが、同じ理由から根本的には疎遠になるしかない。あとは事業所自体も前回の場所以上に馴染めなかったが、退所に手こずった。他、一瞬クローズで契約社員として一般就労したが、「同じ理由」でどうしてもやる気が起きなかったうえに、大失敗して即座に首になった。が、内心安堵したのも確かではある。そこから自立のために収益を得ることを非常に真剣に考え始めた。
 2019年~
 この年から今まで頭の中にあった、創作やこちらが抱え込んだ何かについての思考を徹底して論理的に言語化しようと努め始める。ほか、ネットやニュース上での、社会全般における何らかの憎悪の高まりに耐え切れず、自分もほぼ悪魔のような存在へと自覚的に転身しようと試み始める。自滅的な思考と攻撃性、制御を前提としたパラノイアへの突進、また並行して言語上の暴力へと「日記の中で」ひたすら傾倒していった。
 そして、6月初旬あたりでこうしたものが流布されていることに気づく、最初はありえないと思いしきりに否定しようと、それが狂気以外にはあり得ない事実だと感じながら。しかしこれが事実としては確かだということに7月7日に、Twitterでの自分のアカウントのツイートの一つが、かなり短い期間に3500以上までいってそこで増加が止まる、というわかりやすい変化を見せたので、それまでの経験踏まえてもこれが「本当の」流出であることに気づく。耐え難くなって、それ以後の期間になんども自殺を試みるが、結局しなかった。
 他、秘密の流布の制限を要求したり、流布の範囲を確かめるため、また単に秘密を保持するためにずっと奔走する。新聞やニュースなどは怖くて見れなくなった。新聞などは「確かに」こちらへと言及しているが、もしそれが事実ならあまりに耐え難いので、精神的に常に追い詰められ続ける。ある程度肯定的なものがあった場合には辛うじて気分が安定するが、最終的には家族を巻き込むことにも耐えがたいので東京に強引に部屋を借りた。しかし、当初は結構「面白さ」を自覚的に煽った部分もあるが、結局は重圧と苦痛の方がはるかに勝り、現在に至るまで苦痛は続くことになっている。
 創作をしようと試みるが、こうした重圧には耐え難いものがあり、血で血を洗うような(と言っても日記などの文章の上で)自意識の保持が続いてる感じではある。
 また、たしか7月か8月のあたりでは、わざわざ場所を変えて、現在地を知らせる形で誰かに助けを何度も求めたが何もなかったので中止した(ただし一度、地元で話かけてくれた人はいた。ある種の関係は持ったが、結局巻き込めないのでこちらから切った)。他、誰かへの接触などを試みるが拒絶されるかこちらが迷惑をかけるしかないことにどこかで気づいてこちらから引く、というのがほとんどで、どこかの時点でそうしたものも一切やめた。一度精神科医などに全部こうしたことを打ち明けたが、強制入院されそうになったので尚更相談することはやめた。助けはない上に家族も巻き込めないので、自力で収益を得ようとするが、誰も巻き込めないのでずっと足が止まる、という膠着がずっと続く。