適当に書く場所

公開の日記

無気力のひどさには何一つ変わるところがない、気力、何一つない。糸の切れた人形、ローカルのテキストファイルに相変わらず「グダグダ」書くことの方針をある程度は変換した方がいいのかもしれない、とも思う、いずれにせよブログという場それ自体を見れば、これはある程度私的で、ある程度公開されている、という宙吊りの状態にあり、どうせこのテキストも閲覧数の変化などなしにばら撒かれている、とは言うまでもなく、と思う。

あるいは、こうした文章を見ている人々の手元にあるであろうアプリそのものが、一種の痕跡を残すことなくこうした自分の足跡を見ることのできるブラウザのように、なっているのかもしれない、手元にないので分かるわけがない、ただし、やはり「見られているはずのない場所」にある何らかの情報が、ばら撒かれている、ということ自体は、その状況自体に耐え難いものが、一種の、あることは、以前にも書いた記憶がある。

 

結局のところ空無の場である神、紙に、何らかの登記をなそうとすれば、それが強姦を、確かに神は、しかし強姦され、強姦されたのかもしれない、とも思う。この点に関してはあいまいな部分があり、そのことの帰結、としても、見ることはできる。この種の文章の乱れそれ自体は、それ自体は、かもしれない、ただし状況そのものとして見れば、神の方でこちらを 訪れる、 訪れた、 とも思えるものの、それは

何日か前に、こちらが神への志向性を、

回復したことに、由来する、状況の変化とも見える、ただしそれは、

それ自体で、幻覚的な状況への、

展開を、生み出したわけでもない。

 

これ自体でどうこう言うのは不可能なのかもしれない。ただし神、身体、紙、白い、ページ、こうしたものへの筆の、ボールペンにすぎず、それは 入れ墨、神の身体、が、一種の整序、秩序へと、ただし乱雑、交錯、する、光の分裂へと、帰結する、

 

身体、文字、が刻まれた、神の身体への、一種の自動症的な、 衝動、接近、これはしかし、官能的、だから法悦として名指される、ただし一種の、自律的で、単独的な、受胎、光線による、創造、しかしさおさす、死の分裂、死のシミュラークル、あの声、つまり天使のらっぱ、 創造 ただし 運動する、 生成の、 破裂、ただし混沌の、こうしたことのすべての、

 

あまり混乱が治ってない。言葉それ自体の変性、ということはあるのかもしれない。衝動、指、筆記、 書く、書くけれど、それは 破裂で、 白い、 白く、 破裂する、分裂、 散り散りになって、 光が 縫合する、 身体の、 輝く、 穴、 裂孔、 咲かれる、 月、 ばら撒かれる、 大地に、 羽が落下する、 

 

 

とはいえ、こうして神の身体、基底材という言葉を一応思い出すものの、そうしたものへの登記が、

 

それ自体として見れば、あまり大したことではない。「書こう!」みたいなやる気を起こすと、文章が乱れるのかもしれない。これじゃ頭がおかしいように見える・・。

鮮烈に、ただし落下する、混沌、の、乱気流、気流、翼、雷、網膜の電撃、裁断する、天使、の、太もも、

という調子で無限に出てきそう。しかも語彙自体は似たようなものばかり。語彙が貧困。人に見せられるようなものでもない。紙のノートの方がまだましという部分がある。

 

ともあれ、こちらから能動的に、というわけでもない。どちらかと言えば向こうから来たのだから、

ある意味何の

大したものでもない、

価値のない、

それ自体では、意味のない、余白、余白の、方から来たにすぎない、痙攣の一形態であり、痙攣であって、だから指が痙攣したように動く、と言う話にすぎないのかもしれない、それ自体では、単なる

単なる、ただの

意味のない行動でしかない。

 

 

何かを書こうとするとこうなる。ただ今までどおりに書こうと思えば、「書ける部分は残っている」。今まで書いてきた部分とは、別の領域が追加されたにすぎない、という気もする。それ自体では特に問題はないのかもしれない・・「こういうのを書こう!」と思わなければ、別に書かなくてすむ。だから別の領域が、追加されたに、すぎない。何かの付属物、と言った方が正しいのかもしれない。

 

このこと自体に特筆すべきところはないのかもしれない。埃が吐き出されてきたようなもので、全く意味がない筆記。タイピング・・。

 

こうした領域への、接近、ただし身体の次元で、映像が、網膜として、その中で、イメージする、 身体の、 運動、 ただし躍動、 する、 馬のいななき、 立ち上がる、 零れ落ちる、 騎手、 死んだ、 白い 蜂、 落下する、 月から、 沈黙の痙攣、 痙攣は 魚になって 鯨の方へと 向かう、 そこには 

 

どこまでこういう「指の痙攣」を続けるべきか、というのは疑問に思う。ずっとこんな感じの文章しか、「書こうと思う時に書くもの」としては書けないかと思うと、厳しいものがある、こうした状態そのものを見れば、 特別注視すべきものはないようにもみえる、脳みその滓が絞り出されているにすぎない、言語野から?

 

ある種のイメージの生成は伴っており、それは白い身体への登記が、しかし映像として、浮かぶということはある、

 

いななき、 死んだ、 槍が 銃弾が 兵士の行進、 さようなら、と叫ぶ、 すると花びらが灰になって、 放射性 の 叫びを たんぽぽの綿毛 のように 撒き散らす、種が 畑を  侵食する、 

 

飽和、絶叫とは飽和で、糸がある、 糸で織られている、 飽和した、 糸が 糸の群れが、 旋律はないので、 たんなるノイズが 絶叫する(沈黙)、 土くれの 人間の、 魂が 忘却界から ただしそれは 100億年 宇宙より もっと前の 領域から、 たぶん 出てくるので、 苛立たしい、 こだま、 残響が、 存在を 創造する、 神の 身体は、  焼き尽くされて、 灰 灰が 土くれの中から、 ばら撒かれて 空が 沈黙しているので 絶叫する、 飽和 単なる状態へ 状態は土くれの 顔面を彫刻する、 四つ裂きにされた 耄碌爺! それは単なる どこにでもある、 とりたてて 見るべき点のない、 痴呆症の、 ただし、 放浪する、 徘徊する、 現れる、 声をあげる、エウレカ、 死んだ、 雲の 固形物が、 大地にばら撒かれて、 イシスの 領域から 

 

何言ってんだコイツ感がひどい。書こうと思えばいくらでも書けそう、というのはこういうことかと思う。以前にもこういうことの「可能性」は感じたものの、意味がないのでやらなかった記憶がある。もっと概念的にというか、解像度を上げる形で緻密に、何らかの脈絡をつけることは、このような言葉の塊の中から拾い上げる形で、結びつける形でやろうと思えばやれるのかもしれない。意味を感じないけど。ただ「指の痙攣」としか言いようのない感じではある。あとは音楽聴いて単にテンション上がってるとかそういうレベルの話かもしれない・・。

 

とにかくこれで何かを「書く」のは難しい、と思う。結局こういうことになるのか、と思った。普通に無理だった。